「AI、アニメ風のGTAを作って」 「AI、麻雀版のBalatroを作って」
AIのおかげで、仕事でコードを書く時間が減り、ぼんやり考える時間が増えた。自分の専門性とは何なのか、考えずにはいられなくなった。
かつてゲームを開発することは、天険を越える遠征のようなものだった。プログラム・アート・企画といった複雑な技術を習得して初めてゴールにたどり着けた。
しかし今日、ジェネラティブAIの爆発的な進化により、誰でもアイデア一つでゲームを作れる時代に入った。技術的な障壁が取り除かれた今、アイデアそのものはもはや最も豊富なものになりつつある。
多くの人が不安を感じているかもしれない——AIがコードを書き、絵を描き、レベルデザインの提案までできるなら、私たちの専門性にはどんな価値が残るのか?
10年この業界にいる私は、その答えは曖昧になるどころか、むしろより鮮明になったと思う。なぜなら、ゲーム開発の専門性はずっと「良いアイデアを持つこと」ではなく、「具体的な問題を解決できること」だったからだ。
アイデアに価値はない、完成することが専業だ
新人開発者の口からよく聞く言葉がある。「すごいアイデアがあって、作ったら絶対ヒットする」。しかしベテラン開発者の目には、この言葉はたいして重みを持たない。商業開発の現場では、アイデアそのものには価値がないからだ。
本当の専門性は、限られた時間の中で限られたリソースを組み合わせ、市場競争力のある製品を安定して完成させる能力にある。誰でも火花を散らせるが、嵐の中で焚き火を絶やさずに保てるのは職人だけだ。組織の中では「安定した産出」と「予測可能なクオリティ」が目標であり、専業の価値はリソースの精巧なコントロールと、開発プロセスへの深い理解にある。
「これはクールだ」から「これは問題を解決できるか」へ
ゲーム開発では「自己満足の創意」を捨てなければならない。かつては自分がクールだと思うシステムを売り込むために延々と議論したものだが、プロとして提案の基準は「クールかどうか」から「費用対効果の高い方法で特定の問題を解決できるか」へと変わるべきだ。
私はゲーム開発のプロセスは、エンジニア的な思考モードだと考えている:
- 問題を定義する:なぜプレイヤーは第3ステージで離脱するのか?難易度曲線が急すぎるのか、報酬フィードバックが不足しているのか?
- 解決策を設計する:新しい数値システムを開発すべきか、既存のレベルリズムを調整すべきか?
- 意思決定のロジック:3ヶ月かけてカッコいいドラゴンを1体作るのと、普通の雑魚モブを10体作るのでは、どちらが効果的か?
- 結果を測定する:機能リリース後のリテンションデータは期待通りに改善されたか?
私たちは単なる「クリエイター」ではなく「診断者」だ。目的を精密なデザインパラメータに変換し、直感と執着を数値と論理で置き換える。これは創意を殺すことではなく、創意を本当に有用なものにすること——表面的な飾りではなく。
自我を収める:職人精神の回帰
私が開発者を感情のない開発機械にしようとしていると思われるかもしれない。そうではない。ゲームを愛しているからこそ、「自我を収める」ことの重要性がわかる。
商業開発の打算とは異なり、インディーゲームは開発者の魂の純粋な投影であり得る——そのあり方を否定する気はない。しかしインディー開発であれ商業開発であれ、ゲームの最終目的は「プレイヤーを楽しませること」だと私は思う。
それはつまり、時に特定のゲームプレイへの個人的なこだわりを脇に置き、どんなシステムが対象プレイヤーを最も喜ばせられるかを考える必要があるということだ。
そして専業の職人精神とは、厳密な論理と高効率の実行の背後で、常に「プレイヤーの体験」を最優先に置くことだ。
AIツールを活用して些末な産出を加速するのは、より本質的な問いに大脳のリソースを使うためだと私は考えている——プレイヤーは今何を感じているか?この楽しさは精確か?自分のデザイン意図は正しく伝わっているか?
まとめ
AI時代は専業開発者の価値を損ねてはいないと私は考える。未来の核心競争力は、厳密な論理を持ち、実際の体験上の問題を解決でき、常に「プレイヤーの喜び」を最高の指針とする職人たちのものだ。
アイデアをしまっておこう。
いや、やっぱり全部出そう。
私がそれを一つひとつ否定していき、最終的な答えを見つけ、最高のゲームを作り出そう。